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種 別 提言活動
タイトル 21世紀臨調 幹事会緊急声明「政党は政治をどう守るのか〜マニフェスト『以前』問題を問う〜」
発表日 2006/04/14
発表元
内 容 21世紀臨調 幹事会声明
政党は政治をどう守るのか〜マニフェスト「以前」問題を問う〜
 
 日本の政党政治は大きな転換点に立っている。
 古い支持組織は崩壊し、官僚制は昔日の力を失い、政党はいよいよ自らの足で立つしかなくなっている。そのためには政党がマニフェスト「以前」問題を解決し、組織実態として一定の水準に到達していることが絶対に必要である。この間に見られた野党第一党の自壊現象とでもいうべきものは正にこの水準問題がなお大きな課題であることを明白にした。そこが克服できなければ全ては砂上の楼閣であろう。頻繁に繰り返される「政界再編」論はこうした砂上の楼閣の上に砂上の楼閣を築くような試みであり、政党政治の基盤を弱体化させ、政治家に安易な逃げ道
を用意する議論である。かくして政治家の数さえ揃えればいいとか、人気の高い党首が全てといった「出たとこ勝負」的な、粗雑な政党政治の発想がまかり通ることになる。それでは政党政治の前途は極めて多難であると言わざるを得ない。

 我々は、直面するさまざまな難題に真摯に且つ着実に、可能な限り合理的な政策で取り組むのが政治本来の姿であると信ずる。政治家が自らの思想信条のままに「青い鳥」を求めることや、シナリオなきドラマとスリルが持つ「面白さ」を有権者に提供することが政治でないことを多くの政治家たちは体感しているに違いない。日本の政治はかつての五五年体制時代の資産を使い果たし、今や新しい資産作りに励まなければならない段階にある。政党以外にこれができる組織がなくなった以上、政党に求められるべきは薄っぺらな分かりやすさではなく、どこの国の政治にも負けない懐の深い政治的英知の蓄積である。我々はこうした観点からこの機会に次のような諸点を政党や政治家に率直に問いたい。
 
一 政党政治は集団である政党を主体とする政治であるが、政党が候補者を集め、選挙を行うことは当然として、それ以外に集団としての凝集性を高め、涵養していくどのような方策を採っているのか。およそ政党が一つの主体であろうとする限り、その構成員を教育し、それを通して一定の紀律化をはからなければならないが、それはどう行われているのか。政治のこれまでの経験はどのように継承され、蓄積されていっているのか。一言で言えば、政党はメンバーの品質管理と政治的英知のストック化という問題をそもそもどう考えているのか。

二 政党活動を密室で行うわけには行かず、説明責任を果たすことへの要望がますます高まり、一部にはポピュリズム現象を指摘する見解もある。こうした中で、政治家たちが「どのように」それを果たすかについて政党として何かルールが設けられているのか。それとも事態を全く放置し、成り行き任せにしているのか。それを果たす一つの場としての政治家のメデイア等への登場について何か政党としてのルールがあるのか。各政治家たちはそうした場での発言についてどのような責任を負っているのか。

三 政治を「面白いもの」として印象付ける試みが政治の周辺を含めますます活発化している。政治をこうした形で「消費」の対象とする動きに対して政党はどのように対処するつもりか。こうした動きと説明責任を果たすことと同じなのか、それとも違うのか。こうした傾向に対してどう政治と政治家を守るのか、守るとすればどのような処方箋があるのか。そもそも政治という活動は俗な意味で「面白いもの」なのか。政治をどのようなものと考え、それをどう社会に対して発信するつもりなのか。

四 これらの諸点に与党は政権の運用という日常活動を通してそれなりに対応しているように見える一方、野党はこうした枠組みなしにいわば自由に活動することになるが、しかし、与党以上に徹底した創意工夫をこらすことなしには政権交代は望むべくもない。野党は自らの役割と任務をそもそもどのように設定し、それを実行に移す態勢をどう整備するのか。党首を頻繁に代えることで済むような話でないとすれば、どのような仕組みや制度が与党以上に政党としての凝集性を高め、単なる政策人の集まりを超えた政党経営のノウハウを蓄積する上で不可欠であろうか。

 平成十八年四月十四日
                    
新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)幹事会
添付ファイル 20060414-1.pdf

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